労働基準法の歴史
労働基準法 背景
労働基準法が制定された 1947年 昭和22年というのはどういう年?
1945年 昭和20年 広島、長崎に爆弾が落とされ、日本は終戦になりました。
1951年の日米安全保障条約が結ばれるまでは、日本はマッカーサーを代表とするGHQの指令下にあり
戦争でボロボロになった日本を復興させてやろうというアメリカの指示のもと
財閥解体、農地改革、新選挙法、労働組合法 労働者災害補償保険法、
学校教育法、公職追放・・さまざまな改革がなされました。
平和主義、天皇象徴などをあらわした民主的な新憲法日本国憲法(21年公布22年施工)ができたのもこのころ
憲法25条 27条のもと労働基準法も定められました。
労働基準法は、労働組合法、労働関係調整法とともに労働三法とよばれ、労働法の中で最も中心となる法律です。
強制労働の禁止 暴行、脅迫、監禁その他肉体、精神の自由を不当に拘束して労働強制してはいけない(5条)
法律に基づいて許される場合以外、業として他人の就業に加入して利益を得てはならない。(7条)
ここらへんはぴんはねが戦前のやくざさんの主な収入源だったためです。
前貸金の相殺禁止(17条) 自由意志のものはOK
強制貯金の禁止(18条)}労働者の任意によるのはOK
ここらへんは、戦前の悲惨な日本の労働環境を反省して作られたものです。
労働基準法が制定された昭和22年までの男女の平均年齢はずっと40代半ばでした。
世界的にも有名な長時間労働&低賃金(13時間ぐらいがざら)であり、労働者はひどく搾取されていました。
ああ野麦峠という古い映画に表されているように
最初に親がお金をもらい子供を働かせるとこともよくありました。
労働基準法第4条に男女同一賃金の原則というのがあります
賃金だけに限定しているところがみそ
そのころは、戦後間もない時代ですから、今のように全部男女平等には無理 少しずつやっていこうとしたのです。
労働基準法は、懲役、罰金刑もつく強行法規ですから、あまりに最初から厳しいと全部の会社が労働基準法違反になってしまいます。
男女平等については、男女雇用機会均等法の成立を待つことになります。
ちなみに、男女平等の厚生年金法が制定されたのは、昭和19年 日本が敗戦色が濃くなり、軍費がなくなりかけてきたころです。
兵隊さん命、戦争まっさなかのこの時代になぜに男女平等の厚生年金法ができたのか
これは、実は戦費を集めるためとも言われています。
戻る